起訴されたとか起訴猶予になったとか看護士に助産行為させてたとか色々と話題の堀病院ですが.うちの母上様によると,あたしはこの病院で産まれたそうな.
助産師の資格のない人に……って話も,元から看護師だの助産師だのって職業のなり手が少なくて常に人員不足って話は巷に響いてるし,手抜きして人件費かけずにテキトーにやって浮いた金を稼いでました,なんて話ではなさそうだ.
とすると,騒いでるのは「悪質な手抜き医療で見殺しにされた」って話ではなくて「通常の医療範囲内で対応したけどダメだった」って話なんでないの?
つーかね,病院とかって元々から体調が万全じゃなくて死ぬかもしれない奴が少しでも生きる確率を上げるために詳しくて慣れた人に対処とかお願いしに行く場所でしょ,その中でどれくらいかの確率では「結局ダメでした」ってなるっしょ.そういうのいちいち訴えてたら,病院側だって「そんなん言うなら俺もうやんね」となって,そうなったら困るのは病院以外のほぼ全員だろう.
そらさぁ,大切な人に死なれたら誰かのせいにしたくなる気持ちになるってのは経験済みだが,そこで自分が心理的な満足感を得るため(多くは「悲劇を繰り返さないため」とか奇麗事で修飾される)に,それ以外の全員が迷惑するようなことはヤメてくれ.そもそも医療行為だってレストランの食事だって質の範囲ってものがあるんだから,自分には必ず範囲内で最高どころか範囲以上くらいの要求をしようとするのはヤメてくれ.
結局こういうことの行き着く先は,病院側が自衛のために法外な額の保険に入った患者しか受け入れないなどで,診療のコストが鬼のよーに上がり,例えば出産なら「こんな高額ならいっそ自宅で出産」とかって思えるくらいにまで跳ね上がって初めてバランスする,とかそういう世界.福祉なんて概念の欠片もありゃしねー未来図ですなぁ.
要するに「誰かが失敗して誰かが痛い目に遭う危険性は常にあるし,そのどちらかが自分になる確率だってそう低いものではない」ということなんだけど.
だから他者の失敗だってある程度は許容しつつ,自分の失敗もある程度は許容してもらえる,そういうゆるーい感じが一番過ごしやすいと思うんだけどねぇ.なぜか「だから他者の失敗をいかに追及し自分の失敗をいかに責任逃れするか」なんてセコい発想が蔓延してる気がするよ.
基本的にセコい奴ってのは発想が貧乏で,逆にまた貧乏だとセコい発想になりがちだ.株のデイトレーダとか寄生虫に経済を食い荒らされて皆が貧乏になってるのがこういう他者の失敗を許容できない暮らしにくい社会になってる遠因なんだろうなぁ.
やれやれだねぇ.