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アレ

  ▽20030205b #日記

そこで,最近の時事ネタとして,スペースシャトルの事故のお話になるわけですが.

どうも世間の風潮としては NASA を批判する向きがあったりするのだけど, そういう意見の大半が,「パイロット達が死亡した」という事の持つ重みを, 「そこいらの旅客機の乗客が死亡した」というのと同程度の重さと考えているように見える.

パイロット達は当然ながら「死ぬかもしれない」ということを承知の上でやってるわけで, その危険が遥かに少ない旅客機の一般乗客と同じように扱っては, 批判のしどころを誤るのではないだろうか.

旅客機を飛ばす会社が,コストをケチってきちんとした整備をせず, それにより事故が起こって乗客が死んだなんて場合には, 会社は非難されて当然であろう. けど,NASA が予算の限りを尽くして安全性向上に努めたとして, それでも旅客機ほどの安全性には至りませんでしたがパイロットさん乗ってくれますか?  といって了承して乗るパイロットが死んだ場合, 批判されるポイントは「本当に最善を尽くしていたのか?」であって, 「安全性が足りなかったのではないか?」という点ではないのだ. ポイントは似ているが違うのだ.

  ▽20030205a #日記

何度も書いてることだけど,あたしの判断基準の根底にあるものは, (1)「自分が自分のやっていることを理解しており,主体的にそれをコントロールできているか」と (2)「それが統一・徹底されているか」だ. 前者は要は「解った上でやっているのかどうか」で, 後者は「ある判断基準を恣意的に変更していないか」だな. (1) が (2) の前に来ているのにも理由があって, 「利害を理解した上で (2) を破る」 つまり敢えてダブルスタンダードを強行したりするのは「有り」だったりする.

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