おー,レスが返っている(笑)
日記に書いて本人に直接伝えないってのは,
1)本人が日記を読んでいると確信している,
2)直接伝えるほど重要でもないかあるいは単に自分のワガママだが秘密にしておくほどの内容でもない,
のどちらかです(笑)
で,レスをうだうだ書いたんだけど,
雑誌に投稿したくなるような長文になりそうなので削除(笑)
とりあえず結論を先に書く (^_^;
「Windows の NN か IE で true color で 800 * 600 でしか見れないページ,
って物に何の疑問も抱かないのであれば,
何も言う事はありません」ってトコで.
(気にはなるけど「仕方ないやん」って思考停止しちゃうのも一緒だよん)
そうでなければ,そういうスタンスでツッコミのところだけ書いとこう.
手書きなどというのは、はっきり言って「道具」にはなり得ません。
ところで確認だけど,「ウェブページエディタ == GUIなどで HTML をユーザから隠すエディタ」,
「手書き == ユーザがタグを直接記述するエディタ(タグ挿入型 HTML エディタも含む)」
という解釈でいいんだよね? (^_^;
あたしの区別としては,要はユーザがタグと表示の関係を理解してるかどうか,だ.
で,使われ方が現状はデザイン言語のようなのは認めるとして,
HTML って言語の仕様がデザイン用ではないのも認められるよね?
つまり,現状の HTML の GUI 的表現ってのは,
デザイン用ではないタグを各ブラウザがデザインして表示してるわけだから,
各ブラウザでの表示が自分の意図した通りになる事は期待できない.
そこで,ウェブページエディタが想定しているブラウザ(あるいはエディタそのもの)
の表示に依存したページを作ることになるわけだが,
これはもちろん想定してないブラウザでは正しく表示されない.
デザインが崩れる程度ならまだしも,
ひどい時には情報が完全に欠落することになりかねない.
タグをきちんと理解して使っているなら, ブラウザは必ず正当に書かれたタグを表示する. デザインは崩れるかもしれないが,情報欠落などは決して起きない.
だから,GUI エディタが吐き出すタグを理解した上で使う分には,
GUI エディタも「楽」という捨て難い魅力がある.
ていうか,ホントは GUI エディタが
「ユーザが気にしなくていいような素晴らしい HTML」を吐き出すべきなんだけどね.
なんでユーザがこんなこと気にしなくちゃいけないんだ...
ってトコを突っ込むと,「ユーザがタグを理解せずに機能をエディタに要求するから」って,
振り出しに戻る...
今の段階ではまだまだデザイン言語とはいえないかもしれないけど、 それに進化しつつあることは明らかでは?
W3C は,HTML からデザイン機能を切り離す事に躍起になってる.
で,CSS(スタイルシート)なるものが発明された.スタイルシートを使うと,
これくらいデザインされたページが作れる.
しかも,スタイルシートを解釈しないブラウザに対しても,ピュアに情報を提供することができる.
デザインを意識するあまり低機能ブラウザで情報欠落を起こすような HTML と比べてみよう.
かっきり統一された規格を欲するのは技術家さんとしては当然でしょうが、
ゲージュツの表現形式は統一規格にはならないね.この点は賛同.
さて,HTML をゲージュツ発揮の場として使うことの非合理性は,ここまでで述べた.
で,なんでゲージュツ屋たちが HTML なんつーものに目を付けてしまったんだろうね.
だって,考えれば,彼らの欲するゲージュツを発揮するんだったら,
ページ一面に一枚のイメージまたはクリッカブルマップ,
はたまた PDF や Macromedia Director とか.
それだけで,彼らは望むすべての表現方法を手に入れられるんだ.
PDF も Director も Windows でないと見れない?
そんなんは今に始まった事じゃない.彼らは対象を絞る事を気にかけない
(「わしの芸術が解らんような奴等じゃ」).
それをまー,なんでわざわざ「HTML the 文章構造記述言語」でデザインをやろうなんて考え始めたんだか?
あたしが思うに,それは HTML ブラウザが多数出回っていたからだ.
誰だって自分のゲージュツを皆に見てもらいたいってもんだ.
ところが矛盾だ.人口に膾炙したゲージュツ屋たちがいろいろいじくるうちに,
ゲージュツ屋たちに膾炙したブラウザが出回り始めて,
しまいにゃそのブラウザでしかゲージュツを発揮できなくなった.
本末転倒もいいところだ.
つまり,HTML をデザイン言語として使うって事は,
本質的に矛盾を含んでいるって事だ.デザインしたければデザイン言語を用いればいい.