みっちが高級腕時計をゲットした模様. 高級といっても何十万円とかするわけじゃないようだが, 内部の機構には随分といいものを使っているようだ.
「時計」っつーのは元々は「今が何時なのかを知るための機械」であったはずなんだけど, 今やその機能はほとんどの機械が備えており, 「腕時計」というデバイスの存在価値は既にその本来の機能にはなくなっているといえよう. 時間を知りたきゃ携帯電話で充分ってわけだ.
で,そうなった腕時計が現在担う役割は「装飾品」だね. ネックレスとか指輪と同じ. 綺麗で,高価で,他人に自慢できるほどに価値が高い.
で,さらに話が飛ぶわけなんだけど,評価ってものには二種類ある. 同列の他のものと比較して得られる評価と, 単体で評価者の内部基準との比較によってのみ得られる評価だ. 「数値化できる基準とできない基準」と言い換えてもよい. もちろん後者の評価であっても,評価者の内部では何かしら数値化されて, それにより序列が決定するわけだが, これは外部から見ればコンペア関数がブラックボックスなので無意味だから, 「客観的評価と主観的評価」と言い換えることもできる.
で,本来の時計の評価は「いかに正確な時間を刻むか」であり, これは外部の標準器との比較により正確さを数値化できるという点で客観的評価だ. ある時計が他の時計に対していかに優れているか(あるいは優れていないか)を, 定量的評価基準によって説明できる.
ところが,現在の「腕時計」というものは,既に評価基準はその点にはなくなっている. 装飾品としての判断基準だ. ある腕時計に対する評価は,その評価者自身がそれを綺麗だと思うかどうかという主観的評価で決まる. 判断基準がブラックボックスであるから,それに価値を見出すかどうかは他者からは (ある程度の傾向までしか)判らない.
とーこーろーがー. 人間っちゅうのは,ある物が良いものだと思うと,他人にもそれを良いと思ってほしくなるものらしい. しかしそれが良いかどうかの基準は持ち主の内部にあり,他者からは解らない. そこで,何とかしてその定量的評価,客観的評価を設定しようとする.
で,ここに至り,主観的評価を客観的評価に転換するためのメソッドが発明される. 「お前これならいくら出す?」つまり金額だ.これが高いほど評価が高いという設定になる. やはりブラックボックスよりも数値化されている方が皆に解りやすいから, 皆がこの基準を使うようになる. かくして,「腕時計は高いほど良い」ということになっていくわけだ.