▽19971013c
#日記
週刊日記が更新されてるみたいです.
アツく語りたいけど飽きたらしいのでやめとく.ちっ(ぉ
でも我慢は健康に悪そうなので書いとく(ぉ
本日の読み飛ばし部分
- - 8< - - キリトリ - - 8< - - キリトリ - - 8< - - キリトリ - - 8< - -
この問題は「生まれか育ちか論争」として決着がついていません.そらそーだ. 人間の属性は遺伝で全てが決まるかどうかという話ですが, まぁ常識的に考えて中庸な路線を選ぶのが妥当でしょう.どっちも半々という. しかしあたし個人としてはどっちかというと遺伝が優先に思えます. 環境因子は本人の意思により変更可能であるというのが「育ち派」の基本路線なんですが, 意思を発生する脳は遺伝により生成されるわけで. 屈強の肉体と虫も殺せない優しい心を持つ男は天才格闘家かというと, 格闘しないんだから格闘家じゃないですな. 環境因子により彼にむりやり格闘させれば彼は強いんでしょうけど, 彼の意思に反した環境を強制する事で彼の遺伝形質のある面を引き出したところで, それが環境による人間形成の一般的な姿とは思えません. 環境が何もしなければ彼は格闘家にはならないんだから, 彼の才能は格闘にあるとはいえないでしょう. この辺の話題って今の例みたいに才能が「ある」側で話しているうちはいいんですけど, 才能が「ない」側の話になると急にヒステリックに反論を唱えられるんですよね. そりゃ才能なし側に立たされる人から見れば「どんなに努力しても無駄」 扱いだから反論したくなるのも充分解るけど, でもやっぱできないものはできないって限界があるのは当然だと思います. だいたい全員の能力がまったく同等であるという前提はすげー気持ち悪いし. 見た目だって違ういろんな人間が一緒なはずないですし. もちろん限界値はかなり高いところに設定されているでしょうから, 本人の努力次第で他人より限界に近づけるんでしょうけど, その必要な努力量だって見た目と同様に遺伝により異なっていると考えるのは, 生物学的に見て完全に正しいはず. でもこの発想は人種差別にまで発展するものなので, 差別関係を毛虫のように忌み嫌う一般社会では, 上記のように中庸路線を取るのが一般的と思えます. ちなみにあたしは差別っつーか「だって違うじゃん」って路線ですが. 白人や黒人や中国人が日本人に対して「おれとお前は完全に同等だ!」っていくら言い張っても, まず見た目からして違うのに信じられないし. 「権利を有する」は完全に賛成なので同等になるように努力するのは自由だけど. だからってどっちがいいとも悪いとも思ってないので, 自分的には差別ってのとは違うと思ってるんですけど.
結論:遺伝的に才能ない人がある人と同等に何かするにはかなーり努力がいるよ?
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あぁひさびさに思うが侭に鬱陶しい文章を書いた.あ,いつもか(笑)
「8<」はハサミなんだよ (;_;) ハサミに見えるかなぁ (;_;)