▽19971018b
#日記
生物と物体の境界点.
どんなに複雑でも可動しても意識があるように見えても,
自己複製しなければそれは物体でしかなく,
どんなに単純で蛋白質の固まりにしか見えなくても,
自己複製すればそれは生物.
よって,原子ひとつの状態から人間とかの生物のように多数の原子が複合した状態までのスペクトルの中で,
境界点は「複合原子が自己複製の機能を持つ点」である.
注意しなければならないのは,複製されるのは「構造」であり「物質」ではない点.
「A-B-C」という配置に並んだ分子が「AとBとCをA-B-Cの配置に並べる機能」を持つのが,
この分子群が複製機構を持つという意味であり,A,B,Cのそれぞれには複製機構は全くない.
複製されるのは「配置」である.
つまり単体の原子には(おそらく単体や少ない個数の分子にも)複製機構は備わりえない.
よって,単体の原子から生物を構成する原子群までのスペクトル中には,
「これより分子一つでも減らすと生物ではなくなる点」が確かに存在する.
んが,
上記の境界点には大きな問題があって,「なぜ自己複製を生物の条件とするのか?」
これを溯って「何を以って生物とするのか?」.
しかしこれらの二つの問題は,それぞれが互いに解になっている,
再帰論となってしまっている.つまり問題設定自体に問題があるのだ.
生物とは何か? を生物自体が問いているので問題そのものにこだわるんだろうけど,
数学とかだったら即座に切り捨てられているところだ.
「境界点を定める事そのものが無意味である」
「生物は分子の組み合わせに過ぎない」ってトコか.
それでは宗教的に問題を感じる人用に,上記の境界点を設定してもよいし.