中州でキャンプしてた人たちがダム放水による濁流に飲み込まれて数人が死亡した事件で, テレビのニュースはひっきりなしに報道しているわけだね. 事実としては,中州でキャンプしていた人々が溺れて数名が死亡, 捜索により数名の遺体が発見され,他は行方不明,と, まぁそういう事なので,その中に知人とかが含まれないあたしとしては, そこまでで終わり,の話ではある.
んが,テレビとかつけてるといちいちニュースのたびに報道されるのでつい聞いてしまう.
被害者の一人の女性が,同じく被害者の男性を父親に焼肉屋で紹介した,って話が何度も何度も.
何なんだその情報は?
被害者の関係者としては,自分の関係者がテレビで見世物になる事なんて望まないだろうけど,
ではなぜこんな(他人にとっては)くだらん情報が流れるかというと,要するに,
安全な場所にいる視聴者の知らないところでこーんな惨劇があったんですよ,
被害者はほらこういう普通の生活を送ってたこういう人たち.
普通の人なのにねー彼らは運が悪かったねー.
...とゆー,人口に極めて膾炙した報道の仕方ではないか.
つまり,まずこういう事件の存在を知ると,その時点で, 被害に遭ってない我々は被災した彼らより優位に立っているので, それ単体で優越感を覚える事ができるわけだ. ここまではいい,当然の事だから.
でもここで「自分が優越感(あるいはそれに似た感覚)を持った」という事に無自覚な人は, 単に「何だかいい気分」になり, 自然な,そう,理性の介入がないという意味で「自然な」結果として, もっとそういう気分を求めたくなる,と.
だもんで,彼らはその事件について,もっと知ろうとするんだ. 事件の要因となった環境や,被害者の人となりや人間関係など. なんせ被害者は既に死んでしまっていて彼らより圧倒的劣位にあるので, 被害者のどんな点でも彼らはそれを優越感の増幅に使用できるのだ.
っと,ここまでの心理を自覚して,
- 被害者達はずいぶんと酷い目にあったようだ.
- どうやら彼らと自分とは決定的な違いがあるわけではない.
- という事は彼らは自分に比べてよほど運が悪かったのか.
- 彼らは不幸であったが,判断も誤っていたのだろう.
- という事は判断を誤らなければ自分はああいう目には遭わないかも.
- 彼らはどの判断を誤ったんだろうか.
ってわけで個人的意見として, あたしはこういう,思考停止を自覚する事すらしない奴ってのがキライなのだ. だからそういう奴を増やすようなマスコミの報道の仕方もまた苛立たしいのだ.