▽20000911d
#日記
以下,便所の落書的一方的主観的意見的.
「私はそんな事は書いてません」といいつつ, 別のサイトには「こう書いてあった」という引用がまるまる残ってる状態. どっちが信用できるか,って,これ難しいんだよねぇ. 南京大虐殺の例もあれば,最高裁で痴漢の無罪を勝ち取った人もいるし, 必ずしも「被害者が正義」ってわけじゃない...
主観的にどっちが「もっともらしい」かといえば, そらー「書いてあった」って言ってる方なんだよねぇ. 主観的,なんて判定基準ではどうにもならないんだけど...
反対意見をどちらかの意見に調整するには, より「もっともらしくない」方が証明の義務を負うべき, とあたしは思うので (例えば「1+1 は 2だ」って意見と「1+1 は 0だ」って意見なら, 後者の方がそれを証明すべき...うーん,例が極端すぎるか (^-^;), この場合は「そこにはそれが書かれていなかった」という証明が成されるべき.
よって,この場合,「それは書かれていた」の方が信じやすい,と. しかし「もっともらしい」って何だ? (^-^; どっちが「ありそう」かなんて,Web 上では全く判別できない? 統計的には...「あった」って人はいっぱいいるけど, 「なかった」って人は一人だけ. これで決めちゃうのって,悪い多数決の使い方かなぁ?