家を出ると近所一帯のゴミ捨て場がある.
「マグナムドライ」の空きパックが捨ててあった.
一般家庭におけるビールから発泡酒へのリプレースは,着々と進んでいるようだ.
きっと,家庭内で財布の入出管理をしてる人(たいていは妻の人)が,
個人的にビールが好きかどうか,で,恣意的にリプレーサビリティが決定されるんだろうなぁ.
そもそもビールとは嗜好品だから,とかってのは言い訳だろう.
それを言ったら食事だってカロリーメイトでも生きていけるし,
回数だって1日1回で充分だ.
それを毎回豪華な食事を作って食べてるのは,
それを決定する権力のある人がそれをやりたいからだ.
ビールの件もそれの延長だろう(酒乱とかの副作用的問題は除く.
酒ってのは確かにそういう問題を起こしやすいだろうけど,
このコンテキストではそういう問題の起きる量ではなかろうし,
それで問題が起きるようならコスト以外に片付けるべき問題が山積みだ).
なんて事を考えつつ,では「趣味って何?」とか考え始める.
必要か不要か,って論議はまたそこで「何にとって必要なのか」という疑問を生み出す.
一般的に「必要/不必要」の境界は「生存/死亡」に設定される事が多いが,
そういう意味では趣味ってのは間違いなく不要だ.
あるいは「精神的な満足度」とかの曖昧なものを境界にすると,
これは微妙だ.よくいう「~~しないと~~な気がしない」とかってのは,
そのほとんどが「想像力が足りない」で片付くのだけど,
アルコールってのは物理的に身体に影響するだけに,
一概にそれで片付けるわけにもいかないし.
しかしまぁその身体への物理的影響が先の「生存/死亡」基準でどうであるかは判断可能かな.
精神的アレコレなんてのは現代の技術では定量的な測定ができないから,
結局は前者の判定基準に拠るしかないのだの.
で,そーすっと趣味ってものは生死って観点から見るとまず間違いなく「不要」なのだな.
もしかしたら「不要であること」が趣味の条件なのかもしれん.
とすると飲酒なんてのは確実に趣味だ.
で,起きて設定を 23度にして二度寝をしたのが 6:00.
次に起きたのが 8:30.あちゃー,また目覚ましが鳴らなかったようだ.
この目覚ましはあたしが学生の頃に秋葉の九十九電気で買ったもので,
アナログ針に物理ベル,
「X68000」のロゴがカッコいいイカした目覚ましなのだが,
どうも最近は経年劣化によるものか,
目覚ましが鳴らない事が何度かあった.
最初は電池切れかと思ったがそうでもないらしいなぁ.
アナログ系機械いじりに強い人
(この手の人とか)なら,
こういうのもさくっと分解修理して
「これで寿命が何年か延びた.エコに良いえこえこ」と笑って言えそうなのであるが,
あたしゃ子供の頃にそういう機械分解とかをやらずに成長したため,
至って機械音痴なんである.
しかしこのシンプルな物理ベルの目覚まし時計に愛着
(なんてメリットのない感情だろうか,これは)があるのも否認しがたい.
いっそ分解修理にチャレンジして失敗し息の根を自ら止めるか,
目覚まし機能は諦めてただの時計としてアクセサリ的余生を過ごさせるか,
今あたしの中では葛藤が起こっているんである(笑)
ここの所あたしを悩ませているエアコン問題.
昨夜はエアコンの設定を「28度に設定しクーラ常時稼働」としたのだけど,
朝 6:00 頃に暑くて目が覚めてしまった.
起きている時に暑い暑い言うと「我慢が足りない」とか言われがちだけど,
寝てても暑くて目が覚めるという事は,
気力の問題でなくあたしの身体が本気で暑がっているという事か.
普通の気力(とやら)を持っている人なら,
暑くて目が覚めたりしないだろうしなぁ
(統計を取ってはいないが周囲でそういう人の存在を聞いた事がない).
それともアレかな,ストレスによる睡眠障害.
ストレスなんか受けてるのか,って,
自分的には毎日それはそれは強いストレスを受けていると感じているのだけど,
この辺は定量的な測定の方法を知らないから何とも言えねー.
とりあえず対症療法として,
明日は「27度設定でクーラ常時稼働」としてみよう.
何だか寝冷えへの坂道を転がり落ちているようだが,
その辺の境界条件を確認しておきたくもあるしの.