家を出ると近所一帯のゴミ捨て場がある. 「マグナムドライ」の空きパックが捨ててあった. 一般家庭におけるビールから発泡酒へのリプレースは,着々と進んでいるようだ.
きっと,家庭内で財布の入出管理をしてる人(たいていは妻の人)が, 個人的にビールが好きかどうか,で,恣意的にリプレーサビリティが決定されるんだろうなぁ.
そもそもビールとは嗜好品だから,とかってのは言い訳だろう. それを言ったら食事だってカロリーメイトでも生きていけるし, 回数だって1日1回で充分だ. それを毎回豪華な食事を作って食べてるのは, それを決定する権力のある人がそれをやりたいからだ. ビールの件もそれの延長だろう(酒乱とかの副作用的問題は除く. 酒ってのは確かにそういう問題を起こしやすいだろうけど, このコンテキストではそういう問題の起きる量ではなかろうし, それで問題が起きるようならコスト以外に片付けるべき問題が山積みだ).
なんて事を考えつつ,では「趣味って何?」とか考え始める. 必要か不要か,って論議はまたそこで「何にとって必要なのか」という疑問を生み出す. 一般的に「必要/不必要」の境界は「生存/死亡」に設定される事が多いが, そういう意味では趣味ってのは間違いなく不要だ. あるいは「精神的な満足度」とかの曖昧なものを境界にすると, これは微妙だ.よくいう「~~しないと~~な気がしない」とかってのは, そのほとんどが「想像力が足りない」で片付くのだけど, アルコールってのは物理的に身体に影響するだけに, 一概にそれで片付けるわけにもいかないし. しかしまぁその身体への物理的影響が先の「生存/死亡」基準でどうであるかは判断可能かな. 精神的アレコレなんてのは現代の技術では定量的な測定ができないから, 結局は前者の判定基準に拠るしかないのだの.
で,そーすっと趣味ってものは生死って観点から見るとまず間違いなく「不要」なのだな. もしかしたら「不要であること」が趣味の条件なのかもしれん. とすると飲酒なんてのは確実に趣味だ.