教育アレ.
「ヴァーチャルリアリティが悪」「畳の部屋を」「床の間を」 とかって,つまりこれを主張している連中がどういう教育を受けてきたかを反映してるわけやね. 子供の頃からあったものは善,そうでないものは悪. あるいは,子供の頃にあったものがなくなるのは悪. この例に限らず一般的にいえる事だけど, たとえば「最近の子供はゲームばかりやってて外で遊ばない」 は一般的に悪として流通している概念だけど, これは子供の頃の自分と今の子供達の行為が異なる事に単に反発しているだけなんではないかな. もちろん昔から行なわれてきている行為にはそれなりに必然的な意味があるものもあって, そういうものは推奨するべきではあるけど, 上記のような意見は,その必然性を検討してない単なる反発だけの意見が多すぎる. 「自分が外で遊んでたのに子供は外で遊ばない,だから悪」. そうじゃないでしょ. 「外に出て遊ぶ事にはどんなメリットがあるのか?」 「それをやらないで家の中で遊ぶ事にはどんなメリットが?」 そこを考えた上で初めてその行為の評価が出来るってものではないの? もちろん「メリット」について考える時には 「それが何にとってメリットとなるのか」も併せて考える事が必須となるね. 例えば「長生きできる」は本人にとっては大抵はメリットとなるけど, 寝たきり老人死んでほしいと思っているその周囲の人だってきっといるはずだ. つまり彼のメリットは周囲の人のメリットと必ずしも一致しない(当然だ). まず先にこちらを決定しないと物事の評価なんてできやしない. 上記の様に短絡的に反発してるだけの人々は, この基準が「自分の経験と一致しているか」だけで考えていて, そんな基準はほとんどの場合彼自身にしか意味を持たないものなのに, それが普遍的なものだと思い込んでいるわけだ. もうちょっと踏み込んで, 「自分の経験とは違う」 「では自分の感覚では是非を計れない」 「では客観的にはどういう意味があるのか」という方向で考えてくれ. 自分の固定観念を見つけたら, 「この観念は何か必然性があるのか」と考えてくれ. ほとんどの場合,必然性なんてありゃしないんだ. 単に自分が今までやってきたから正しいと信じ込まされてるだけなんだ.