ところで「それ散る」の OP の歌詞を聞き取ろうとして考えたこと. あたしゃ文字を読みながら話を聞けない. OP では画面に文字が羅列されながら同時に歌が流れるのだが, 同時に片方しか追えないのだ.
なぜかって,「話を聞く」をする時, 耳から入ってきた言葉が頭の中でいったん文字情報に変換されて, それを(脳裏の)目で見て読み上げているからだと思う. だから,話を聞いている時は目は字を読んでいるわけだから, 他の字を読むことはできないわけだ. この目ってのがまた,処理ルーチンがリエントラントでなく, しかも物理的な目と脳裏の目とが同じルーチンを使用するようで, バッティングが起きるのだな.
同様に,喋る内容を考えながら本を読んだりすることもできない. 「考える」ということそのものが「字を読む」というルーチンに依存してるんだな. 電話をしながら別のことができないとか, さらに目を閉じて電話することが多いのも,きっと同じ理由だろう. 運転中に会話が上の空になりがちなのも似たようなものかな?
リチャード=ファインマンのエッセイにもあったが, この辺りは人によるんだろうな. 例えば逆に,物理的に「字を読む」をする時, 脳裏で字を読み上げて「耳で聞く」と同じルーチンを使用する人とか. さらにはこれらの処理ルーチンが同時走行可能な人とかもいるのだろう. 聖徳太子は 23 スレッドまで稼動したってわけか.すげーや.
ということは,「耳で聞く」タイプの人は, 音楽を聴きながら本を読めない人とかもいそうだな. あたしは音楽は「BGM 処理ルーチン」に回されるらしく, ほとんどの場面で聴きながら何かできる. 歌詞を理解しようとすると使用するルーチンが違ってきてダメになるようだ. 難しいもんだなぁ...