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アレ

  ▽20030204b #日記

ひとたび「境界の明確なルール」から外れてしまうと, 後はもう原始的というか人間的というか,な, 感情と利害計算のみによる再現性の低い判断で物事が決まる.

明確なルールの下では,AがBにそれをさせる場合, Aは「Bがそれをしなければならない」ということをルールから導出すればよかったのだが, この曖昧な世界ではそれは通用しない. Aは,Bが自発的にそれをしたくなるように手練手管の限りを尽くす(方式1)か, Bがそれをせざるを得なくなるよう追い込む(方式2)か, 色々な手段を実行せねばならない. 方式1は「利益を与える」というもの,方式2は「危害を与えない」というもの.

方式1としてもっとも楽というか手軽なのは,AがB普通に「お願い」することだ. ただしこの手段はBがAのお願いを聞いてやる程度に寛容であったり, あるいはBがAについて好意を持っていたりせねばならない. ポイントは,どういう場合でも,それをするかどうか決定するのはAではなくBである点だ. AはBに,それをするという決断を下してもらうために, ご機嫌取りをしたり「誠意を見せる」をしたりせねばならない場合が多いだろう. 言い換えれば,AはBが「Aに協力した方が自分の利益になる」と判断するよう仕向けねばならない.

方式2の場合,これはあたしが「山賊の理論」と呼ぶものだが, つまり「やらないと危害を加える.やれば加えない.危害を被らずに済むのがお前の利益だ」というものだ. 現行の法律とかでも,これが主体のものはいくつかあるし, 端的に抽出したこれらの語感ほどにエゲツなくもなく一般的に使用されている. あージャイアンとかもコレだな. Web 関係でこれがやりにくいのは,相手を直接殴ったりするのが困難な場合が多いことだ.

というわけで,上記の方式のどちらかを駆使しない「お願い」は, 聞き流されることが多いであろうよ. そういうお願いでも聞いてあげるのが「優しさ」だなんて意見もあるかもしれないが, 「優しさ」は他人に対して要求するものではない. もちろん「優しさ」を持つものが持たないものを軽蔑するのは自由だが, 持たないものは軽蔑されたところでそれを持つゆとりがない場合がほとんどだろう.

  ▽20030204a #日記

Web 上にモノを置くということ,つまりブラウザで見える場所にモノを置くということ, つまり特別な手順や認証をせずとも http プロトコルで GET できるようファイルを設置するということ. これをやった時点で,基本的には「誰もがそのファイルを取得してよい」 という許可を与えたのと同じだと思うのね.

で,そうはいっても,例えば他人の画像を <img> タグで自分のページに使用したりするのは, これはまぁフツーに考えてよろしくないやね. でも,その画像(しばしば,その画像を含むページ)へリンクを張ること自体は, 大抵はセーフと見做される.

この,エラーとセーフの境界条件がひどく曖昧なので, 大抵は運営者たちの間における暗黙の了解に基づいているのだろう. まぁ境界条件をきちっと設定する術など本質的に存在しないだろうと思うのだけどね. 自サーバだの他人のサイトだのって概念自体が, 物理世界の土地所有みたいに明確なものではないし, そのリソースの製作に関わったかどうかなんてのは,値が連続可変すぎて条件化できなかろう.

明確に出来る,というか,既存の著作権とかそーゆーのの絡みで, 一応でも基準が示されている使い方もある. 基準があるならそれを使えばいいのだけど, 例えば「リンクを張る」なんてのは既存の法では定義されていない「使い方」なわけで, これらの行為に対してはやはり明確な基準はない.

明確な基準がない場合はどうするか,というと, そのリソースを保持していると考えている者が, そのリソースを使用せんとする者に対して, 行為ごとの許可や禁止を「お願い」して,紳士協定により決定するわけだわね.

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