散髪してくる.すっきりー.
ついでに床屋の隣のパチンコ屋に行ったら大勝ちしてよろこび.
散髪してくる.すっきりー.
ついでに床屋の隣のパチンコ屋に行ったら大勝ちしてよろこび.
秋葉に行って,社で使うスキャナを受け取る. 店頭に品物がなくて取り寄せてもらっていたものだ. 社で使う,といっても,スポンサは社ではなく上司様のポケットマネーであり, 実際のところは上司様の私物,という, ちと複雑な生い立ちのスキャナである(笑)
ついでに CD-R の 100 枚バルクセットを買ってきたり. フリージアはもういつぞやのぎざぎざメディアは売らないんだろーか. レーベル面がただの金属で余計な図案やロゴが入ってないのが好みなのだが.
という展開とは無関係に,「タモリ倶楽部」で「ダム放水シーン ベスト10」なんつー番組を見る. 「ダム好きにあらずんば男にあらず」なんて垂れ幕がかかっていて, ダムもえー放水もえー(ぉ
やっぱりというか,1 位は黒部ダム. 行ってみたいが,黒部って遠いんだよなぁ. しかし福島とか栃木とかのいくつかのダムはそこそこ近いから行こうと思えば行ける距離ではある. まぁ行こうと思ったら地続きな限りどこにだって行けるのだけどね(笑)
社の帰りにみっち邸に寄っていって,ソトシゴト #2 の相談. やっぱ VB 周りのプログラムはみっちに委託したいところだが, 彼は彼で忙しそうではあるな. もうすぐ由紀ねぇが 2 人目を生みそうだしなぁ.
今日は,面白いネタ,ないなぁ...
そこで,最近の時事ネタとして,スペースシャトルの事故のお話になるわけですが.
どうも世間の風潮としては NASA を批判する向きがあったりするのだけど, そういう意見の大半が,「パイロット達が死亡した」という事の持つ重みを, 「そこいらの旅客機の乗客が死亡した」というのと同程度の重さと考えているように見える.
パイロット達は当然ながら「死ぬかもしれない」ということを承知の上でやってるわけで, その危険が遥かに少ない旅客機の一般乗客と同じように扱っては, 批判のしどころを誤るのではないだろうか.
旅客機を飛ばす会社が,コストをケチってきちんとした整備をせず, それにより事故が起こって乗客が死んだなんて場合には, 会社は非難されて当然であろう. けど,NASA が予算の限りを尽くして安全性向上に努めたとして, それでも旅客機ほどの安全性には至りませんでしたがパイロットさん乗ってくれますか? といって了承して乗るパイロットが死んだ場合, 批判されるポイントは「本当に最善を尽くしていたのか?」であって, 「安全性が足りなかったのではないか?」という点ではないのだ. ポイントは似ているが違うのだ.
何度も書いてることだけど,あたしの判断基準の根底にあるものは, (1)「自分が自分のやっていることを理解しており,主体的にそれをコントロールできているか」と (2)「それが統一・徹底されているか」だ. 前者は要は「解った上でやっているのかどうか」で, 後者は「ある判断基準を恣意的に変更していないか」だな. (1) が (2) の前に来ているのにも理由があって, 「利害を理解した上で (2) を破る」 つまり敢えてダブルスタンダードを強行したりするのは「有り」だったりする.
ひとたび「境界の明確なルール」から外れてしまうと, 後はもう原始的というか人間的というか,な, 感情と利害計算のみによる再現性の低い判断で物事が決まる.
明確なルールの下では,AがBにそれをさせる場合, Aは「Bがそれをしなければならない」ということをルールから導出すればよかったのだが, この曖昧な世界ではそれは通用しない. Aは,Bが自発的にそれをしたくなるように手練手管の限りを尽くす(方式1)か, Bがそれをせざるを得なくなるよう追い込む(方式2)か, 色々な手段を実行せねばならない. 方式1は「利益を与える」というもの,方式2は「危害を与えない」というもの.
方式1としてもっとも楽というか手軽なのは,AがB普通に「お願い」することだ. ただしこの手段はBがAのお願いを聞いてやる程度に寛容であったり, あるいはBがAについて好意を持っていたりせねばならない. ポイントは,どういう場合でも,それをするかどうか決定するのはAではなくBである点だ. AはBに,それをするという決断を下してもらうために, ご機嫌取りをしたり「誠意を見せる」をしたりせねばならない場合が多いだろう. 言い換えれば,AはBが「Aに協力した方が自分の利益になる」と判断するよう仕向けねばならない.
方式2の場合,これはあたしが「山賊の理論」と呼ぶものだが, つまり「やらないと危害を加える.やれば加えない.危害を被らずに済むのがお前の利益だ」というものだ. 現行の法律とかでも,これが主体のものはいくつかあるし, 端的に抽出したこれらの語感ほどにエゲツなくもなく一般的に使用されている. あージャイアンとかもコレだな. Web 関係でこれがやりにくいのは,相手を直接殴ったりするのが困難な場合が多いことだ.
というわけで,上記の方式のどちらかを駆使しない「お願い」は, 聞き流されることが多いであろうよ. そういうお願いでも聞いてあげるのが「優しさ」だなんて意見もあるかもしれないが, 「優しさ」は他人に対して要求するものではない. もちろん「優しさ」を持つものが持たないものを軽蔑するのは自由だが, 持たないものは軽蔑されたところでそれを持つゆとりがない場合がほとんどだろう.
Web 上にモノを置くということ,つまりブラウザで見える場所にモノを置くということ, つまり特別な手順や認証をせずとも http プロトコルで GET できるようファイルを設置するということ. これをやった時点で,基本的には「誰もがそのファイルを取得してよい」 という許可を与えたのと同じだと思うのね.
で,そうはいっても,例えば他人の画像を <img> タグで自分のページに使用したりするのは, これはまぁフツーに考えてよろしくないやね. でも,その画像(しばしば,その画像を含むページ)へリンクを張ること自体は, 大抵はセーフと見做される.
この,エラーとセーフの境界条件がひどく曖昧なので, 大抵は運営者たちの間における暗黙の了解に基づいているのだろう. まぁ境界条件をきちっと設定する術など本質的に存在しないだろうと思うのだけどね. 自サーバだの他人のサイトだのって概念自体が, 物理世界の土地所有みたいに明確なものではないし, そのリソースの製作に関わったかどうかなんてのは,値が連続可変すぎて条件化できなかろう.
明確に出来る,というか,既存の著作権とかそーゆーのの絡みで, 一応でも基準が示されている使い方もある. 基準があるならそれを使えばいいのだけど, 例えば「リンクを張る」なんてのは既存の法では定義されていない「使い方」なわけで, これらの行為に対してはやはり明確な基準はない.
明確な基準がない場合はどうするか,というと, そのリソースを保持していると考えている者が, そのリソースを使用せんとする者に対して, 行為ごとの許可や禁止を「お願い」して,紳士協定により決定するわけだわね.
自社で会議. あー何やら職場が変わるって? うあー面倒くさいなぁ...
今の職場はけっこう好き勝手できて大変に居心地が良いのだが, また新しい職場に行くと色々と面倒なのよねぇ. まずアレだ,人見知りなんで,新しい人と馴染まなきゃいけない.これがツラい. そんで,あと,スーツ着なきゃいけない職場ってのも耐え難いものがある(ぉ