ついでに,なんだか技術とかってよりは思考方法の違いって気もするんだけど,
UNIX に多く見られる「alias」の概念が Windows系にはほとんど見られないのはなぜだろう?
例えば UNIX では,あるファイルに別名を付ける事ができるし,
あるデバイスに付ける名前は自由に選べる.
後者は alias とはちょっと違うけど,
根本にあるのは「あるひとつの実体に対し別の名称を付ける」って概念だ.
Windows には,その概念がほとんどないように思える.
デバイスには固定のドライブ名.
あるドライブ名の付けられたデバイスを別のドライブ名で呼び出すことは(通常は)できない.
ファイル名も固定.
UNIX でいうリンクファイルのような機能はない.
シンボリックリンクに似てる「ショートカット」ってのはあるけど,
あれはほとんど explorer の機能のひとつでしかないように思える
(あるいは Shell32.dll の機能か).
あ,ひとつだけ思いつく例があった.
「プリンタ」だ.あれはひとつのプリンタに複数の自由な名前が付けられる
...多勢に無勢(笑)
ってことで,どうやら WindowsNT で FAT32.sys のとあるバージョンを利用することで,
FAT32 の読み書きができることが判明したので,
データドライブはさっくり FAT32 にしてしまおう.
これで Windows2000 を入れる理由がひとつ消滅.めでたい(ぉ
それにしてもこの「ドライブ名」って概念はホントにダサい.ダメダメだ.
UNIX とかでは,各デバイスは /dev の下に集められていて,
それぞれに好きな名前を好きな場所に作って,
全体としてひとつのファイルシステムを構築できる.
翻って Windows(ていうか MS-DOS)では,
各デバイスのトップにあるファイルは,
全体としては必ず上から 2番目(全体のトップを「ドライブ名」というレイヤと仮定して)
でなければならないのだ.
OS に限った話ではないが,
多くの場合において,この「なければならない」は不自由さの証明でしかないと思う.
「そうしてもいいけどしなくてもいい」という自由度があれば,
そうしたいユーザはそうできるし,やりたくなかったらやらなければいい.
例えば UNIX のシステムであれば,
各デバイスに「A」「B」なんて名前を付けて全てをルートにマウントし,
/A/autoexec.bat とか /C/etc/hosts なんて風にすら使えてしまう.
これはつまり UNIX の自由度は MS-DOS の全自由部分を含んだ上でさらに別の自由をも提供するって事だ.
Microsoft の Linux との比較ページには
「UNIX なんて 30年前のアーキテクチャだ」とか書いてあるらしいが,
30年前に数十年間も使えるシステムを構築するほうが,
その 20年後に 10年も保たないシステムを作るより 30M倍は偉いのだ.
今日は特に外に出る予定のない日.
いくつかの理由で気になってた OS の再インストールをやることにする.
理由とは,
- しばらく使ってたらレジストリ矛盾などで OS が「汚れて」きてた
- U/DMA-66 モードで HDD を接続したいなーっと
- パーティション構成を変更したいなーとか思っていた
- 古いメールとかのデータもこれを機に整理したいな~とか
...まぁ大した理由ではなくて「ヒマだから」ってのが本音なんだけど(ぉ
ってことで,手順.
- CDROM を外して,旧 HDD(DTTA-350640)を Secondary IDE Master に接続.
なぜ Slave に接続しないかというと,ジャンパ変更が面倒なのと,
電源コネクタが余ってないから(ぉ
- 新 HDD(DJNA-371350)の全データを旧 HDD にコピー.
ついでにブートセクタも書き込んでやって,旧 HDD から起動できるようにする.
- CDROM を接続し,新 HDD を U/DMA-66 コネクタに接続して,
新規に OS や周辺機器をインストール.
- 再び旧 HDD を接続して旧データをコピー.
- CDROM を接続してケースを閉じる.
- アプリをインストールする.
教訓その1:うちの win95 インストール FD は,FAT32 ドライブがあるとコケる(ぉ
教訓その2:DVD-RAM ドライバを DVD-RAM 内に保存するのはやめよう(ばーかばーか(笑)